【ロシア極東と日本】第1回 北方領土「固有の領土」論という神話

   

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日本政府の態度を振り返る

そもそも、一括であれ段階的であれ、「4島の返還要求」を日本政府は公式にはもはやしていない。1993年10月13日、当時のボリス・エリツィン大統領と細川護煕首相が共同で「東京宣言」を発表した。そこで宣言されたのは「4島の帰属問題の解決」である。第二次政権発足(2012年)後の安倍首相も、一貫してこの立場を堅持している。

「帰属問題の解決」とは、4つの島が日露いずれかの国の領土であることを条約によって国際法的に確定させることを意味する。したがって論理的には、ロシア4:日本0で帰属が確定されても「解決」したとみなしうる。仮にロシア2:日本2で妥結しても、日本政府は従来の立場を変えていないと強弁することも不可能ではない。

もちろん、日本4:ロシア0もありうる解釈である。ところが、去る2月7日の「北方領土の日」に開催された北方領土返還要求全国大会であいさつに立った安倍首相は、「4島の帰属問題の解決」にすら言及しなかった。「日本4」と解釈される余地のある主張を表に出さないことで、4島断念、2島妥結の意思を国内外に発信したものとも考えられる。

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 北方領土は「日本固有の領土」と言えるのか

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Signboard_Japanese_northern_territories.jpg

 

 

ここで「北方領土の日」とは、下田条約(いわゆる日露通好条約、ないし日露和親条約)が1855年2月7日に締結されたことに由来する。この条約で、日露間にはじめて国境線が引かれた。国境線は、北海道根室沖から北東方向にのびる一連の列島を区切った。

列島に暮らしていたアイヌなどの先住民族は、国際的に承認されうる国家という組織をもたない。だから、国家間の境界である「国境」はこのときはじめて引かれ、列島の帰属がはじめて確定された、とみなされる。そのうち日本領となったのが歯舞・色丹・国後・択捉である。この4島をくくって「北方領土」と現在は呼ばれている。そして、「北方領土は日本の固有の領土である」という返還要求の有名な主張がここから生まれる。

「北方領土は日本の固有の領土ですか」。

そう問われれば、「そうだ」と答える日本人が多いだろう。「仙台は日本の固有の領土ですか」。これは当たり前すぎて意味不明、問いとして成立すらしていないと思うだろう。では仮に、「ソウルは韓国の固有の領土ですか」と韓国人に質問したとしよう。おそらく、仙台について問われた日本人と同じ反応をするだろう。

しかし、北方領土の問いに「そうだ」と答えたあなたは、「違う」と答えなければならない。日本政府における「固有の領土」の定義は、「一度も外国の領土になったことがない」場所を指すからだ。かつて日本の植民地だったソウルも、イギリスの植民地だったニューヨークも、韓国の、あるいはアメリカの「固有の領土」ではない、ことになってしまう。意味不明なのは実は日本の定義の方ではないか。それでも、「北方領土は日本の固有の領土である」と世界に主張しつづける勇気があなたにはありますか。

「固有の領土」論は神話である。「固有の領土」が根拠のあやうい神話ならば、「北方領土」を要求する根拠はどこにあるのか。そもそも「北方領土」はいつできたのか。次回は、日露関係の未来のために、「北方領土問題」の基本に立ち返って考えてみたい。

天野 尚樹(あまの なおき)

山形大学人文社会科学部准教授、博士(学術)。専門はロシア極東近現代史、北東アジア境界政治史。著書に『日露戦争とサハリン島』(共著、北海道大学出版会)、『帝国日本の移動と動員』(共著、大阪大学出版会)、『樺太40年の歴史』(共編著、一般社団法人全国樺太連盟)などがある。

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https://www.levada.ru/2016/04/07/mezhdunarodnye-otnosheniya-2/

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