服毒自殺をしたプラリヤック元将官は何をしたのか?

   

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多くのメディアで報じられているが、11月29日、オランダ・ハーグで開かれていた旧ユーゴスラビア国際刑事法廷(ICTY)にて、クロアチア人のスロボダン・プラリヤック被告が判決後に薬品を飲み、服毒自殺をした。この記事ではボスニア紛争においてプラリヤック被告が何をしたのか。そして、この事件が本国ではどのように伝えられているのか、この2点に注目していきたい。

クロアチア軍事組織のリーダーだったプラリヤック被告

(ICTYを批判するポスターと、プラリヤック被告を称えるポスター。)

まずプラリヤック被告の行動を見る前に、ボスニア紛争の概要を簡単に確認しておきたい。1990年代、旧ユーゴスラビアが崩壊する流れの中で、ボスニア・ヘルツェゴビナでは3民族(ボスニア人、セルビア人、クロアチア人)の対立が鮮明になった。ボスニア人はイスラーム教、セルビア人はセルビア正教、クロアチア人はカトリックを信仰しているが、外見上はほとんど区別がつかない。
プラリヤック被告はボスニア・ヘルツェゴビナ南部の街、モスタルを中心に活動した。モスタルにはクロアチア人とボスニア人が居住しており、当初は対セルビア人で共闘の関係にあった。しかし、クロアチア人とボスニア人の間にも亀裂が走り、互いに殺し合う自体に発展した。この過程において、世界文化遺産に登録されているスタリ・モストも崩壊した。
さて、プラリヤック被告はボスニア領内のクロアチア人軍事組織、クロアチア防衛評議会(HVO)の司令官だった。裁判では次々にボスニア人を不当に拘束するHVOの兵士の行為をプラリヤック被告が見逃したと断じた。もうひとつ大切なことは1993年11月にプラリヤック被告自身が「スタリ・モスト」の破壊を命じたことだ。ICTVはボスニア人への計り知れないダメージをもたらすために「スタリ・モスト」が破壊された、とした。
このICTVの指摘に対して、プラリヤック被告は真正面から反論。「スタリ・モスト」の破壊は「スタリ・モスト」が「正当な軍事的ターゲット」だと主張した。しかし、ICTVはプラリヤック被告の主張を認めず、禁錮20年の刑を言い渡した際に、事件が発生した。

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プラリヤック被告を英雄視する見方も

(モスタルで行われた追悼式)

プラリヤック被告の劇的な死は全世界にショックを与えたが、最もショックが大きかったのはクロアチア人だろう。モスタルでは、クロアチア人の間でプラリヤック被告を追悼するためにロウソクが灯された。また、クロアチアのプレンコビッチ首相はプラリヤック被告の自殺に対して、ICTYの「深い道徳上の不当性」と発言。今でも、クロアチア側ではICTYへの不信感を拭えていない。もちろん、被害を受けたボスニア人はプラリヤック被告を敵視している。自殺したとはいえ、恐怖心は拭えていない状況だ。ボスニア紛争が終結して20年以上が経過するが、両民族の対立が続いていることを示す事件だった。

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1987年生まれ。神戸市出身。神戸大学大学院国際文化学研究科修了(国際関係・比較政治論コース)。専門はユーゴスラビアといった中東欧の政治・国際関係。 民間企業に勤務後、3ヶ月間の中東欧でのバックパッカー体験を経て、2016年より独立。『Compathy Magazine』『TRIP’S』など複数のメディアで活躍中。

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