【仙台市長選】「郡和子新市長」誕生の裏側に迫る―「市民の会」新里宏二共同代表 (上)

   

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郡和子 仙台市長選挙

今年7月に行われた仙台市長選。

民進・社民・共産などが支援する元衆議院議員の郡和子氏が当選し、全国紙を含めた各主要メディアが「野党共闘の勝利」と選挙戦の結果を高く評価した。

一方、当時3期目に向け出馬が見越されていた現職の奥山恵美子市長の引退は、在仙の各関係者に衝撃を与えた。

4月からの怒涛の3カ月間を、仙台市長選の各当事者たちはどのような思いで戦ったのだろうか。

政治プレス新聞社は、各関係者への取材を通して、今回の仙台市長選で勝利を収めた市民団体・政党間の連携の裏側を探る。

「希望あふれる仙台をつくる市民の会」(以下、市民の会) 共同代表として市長選を率いた新里 宏二(にいさと・こうじ)弁護士から話を聞いた。

※本インタビューは(上)(中)(下)の3階に渡って掲載予定です。(上)編の今回は、市民団体「希望あふれる仙台をつくる市民の会」設立までをお伝えする予定です。今後公開予定の記事のリンクは下記をご参照ください。

新里 宏二

新里 宏二

新里鈴木法律事務所にて。

岩手県盛岡市出身。1977年中央大学を卒業後、1980年10月に司法試験合格。

1983年4月に仙台弁護士会へ登録。その後2006年には貸金業法の改正に宇都宮健児氏らと関わった。2011年4月から日弁連副会長に就任(~2012年3月)。

2017年仙台市長選挙においては、「市民の会」共同代表として選挙戦で中心的な役割を果たした。現在も奨学金問題やカジノ・ギャンブル問題など、様々な社会問題解決に携わる。

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「なんとか5月中には擁立を」

―現在各政党関係者の方からお話を聞いていますが、それぞれの方が今回の選挙戦では市民の会が重要な役割を果たしたと指摘しています。まず、市民の会が候補者を擁立するに至るまでの過程を教えていただけますか。

新里 宏二共同代表(以下、新里):市民の会は候補者を擁立するために、4月になってから準備会を2度ほど開催して、立ち上げられた。確か4月26日だったかな。

その準備会で「じゃあ擁立のための市民の会を作りましょう。そしてキックオフ集会を開きましょう」ということで5月6日にキックオフ集会をすることが決まった。そして4月28日の昼に市役所で「5月6日にキックオフ集会をします」という声明を発表する記者会見が行われ、6日の午後に集会を開いた。

そういった流れの中で役員・代表・選考委員会を作って、候補者を自分たちで擁立したいという思いが強かった。それがまさしく住民自治・地方自治の基本なんじゃないかということがあって、そこには強くこだわった。候補者の選考委員15人を選んで、「なんとか5月中には、選挙の1カ月前には自分たちの候補者を擁立したい」という思いがあった。

―ありがとうございます。市民から候補者を選ぶということで、まず選考委員15名が選ばれました。その後の候補者選考の過程をさらに教えていただけますか。

新里:第1回の選考委員会は5月15日にあって、キックオフ集会に来てくれてた方や、選考委員を含めて候補者を出そうということで、10人ほどの候補者の名前が浮上した。市職員からも数人の名前が推薦されたが、今回は仙台市でいじめ自殺が2年7カ月の間に3人も出てしまったことを踏まえ、内部の選考はないんじゃないかという話になった。いい人はいたはずなんだが、それはやめましょうと。

弁護士の名前も上がったが、家族の反対で候補に入らずに、学者の方2名と郡さんの3人を候補者に絞った。ただ、郡さんは今の厳しい国会情勢の中で市長選には出てもらえないんじゃないかという見立てが強かった。でもやっぱり「郡さんは自分たちのリーダーになりうる人だから候補に入れておこうよ」ということで、3人の候補者に入った。

おひとりの学者の方は固辞されたが、もうひとりの学者の方は直接お会いして6項目の政策目標を見ていただいて意見を聞くことができた。良い方だと思って、僕自身はそこに傾いた部分もある。

―市民の会が候補者選考を進めていた5月中旬は、民進党内でも候補者選考で揺れていた時期でもありました。市民の会としてはこの民進党内での動きを、当時どのようにお考えになっていたのでしょうか。また、それを踏まえてどのように行動したのでしょうか。

新里:民進党内部の推薦状況が混迷を極めていて、5月20日前後になってみると、郡さんという声が上がったり、林宙紀さんが結局自分が離党して出るという話になったり……。民進党が分裂した場合、学者の方にお願いするにはしんどいよなという思いがあった。

郡さんとも話をしたが、郡さん本人も色々迷っていたようだった。「もし自分が出ることになると民進系から(自分と林氏の)2人出るということになりかねない。そうした場合に国民の理解が得られるのか」「国政では共謀罪法案が大きな山場にあり、そこで責任を果たすべきでは」とか色んなことを考えられたんじゃないだろうか。

結局民進の市議会議員の方々はいろんな議論があって最終的には岡本さんを推薦すると決まっていくわけだが、私たちは郡さんだと思っていた。そして最終的に、私たちが郡さんの意思確認に行ったのが、5月26日だった。

「もう郡さんしかいない」

―党を囲む状況としても、郡氏を推さなければ厳しいというところがあったんですね。迷う郡氏を、市民の会はどのように説得をされたのでしょうか。

新里:25日にも市民の会は選考委員会を開いたが、もうこうなったら郡さんしかいないんじゃないのかということになった。やっぱ勝てなきゃ面白くないし、勝てる候補で皆が頑張れる人という意味では郡さんだと思った。しかし郡さん自身が出るか出ないかはっきりしない。たまたま翌日僕が東京に出張だったので、こう伝えた。

「郡さん、どこでもいいよ。東京にいるなら東京でもいいし、仙台なら仙台でもいいから会えないか。」と話をしたら、26日の夕方に郡さんの事務所で会おうということになった。当初は意志確認としてアポイントを入れたんだけど、市民の会の中では「郡さんしかいない、郡さんには出馬要請として行くべきだ」という雰囲気があった。そこで、当日26日夕方の段階で、僕と佐々木公明先生、後藤東陽さんの3人の共同代表が揃って「もう郡さんしかないよ」「僕は勝てると思うし、郡さんで仙台市政を変えようよ」と伝えに行った。

郡さんは国会で議員立法で成立した、いじめ防止対策推進法の責任者だ。それなのに実務・現場はそれができていなかった。それじゃあ、現場でやるべきなのは彼女じゃないだろうか。
そして、まだ震災や復興が終わってないと思っている人が多い。特に心の復興はまだ終わっていない。なのに「もう終わった」と今の奥山さんは言っている。それは違うんじゃないかって。奥山さんは被災地にも仮設住宅にも行かなくて、(被災者からは)顔が見えないと聞いている。復興政務官をやった郡さんが、それはやるべきじゃないのか。そんなふうにお話をした。

党内でもまだ議論があるということだったが、「僕らはそれでも記者会見をするよ、そしてその上で6月7日に郡さんを支援する会を開くって言うよ」と郡さんに伝えた。
郡さんは「党内でまだ結論が出ていないから、私は今の段階で出るとも出ないとも言えない」と言った。僕らは30日に記者会見をして、郡さんに事実上要請もしたと記者たちに伝えた。「僕らは必ずや出てくれると思っている」と話した。

そしてはじめのキックオフ集会で280人の会場がいっぱいになって、次の6月7日の「郡和子さんをみんなで応援するつどい」は400人とさらに人数は増えていった。
また、まだ正式にこそ発表されていなかったが、6月3日に郡さんの民進党からの擁立が報じられ、7日の時点では市民の会でも「まだ言われていないけど、郡さんだろう」という流れが出来ていた。そして最終的に9日に民進党が郡さんを推薦すると正式に決め、記者会見をすることになった。

民進・安住代表「野党共闘だけでは勝てない」

新里:その翌日の10日に安住代表が市民の会に郡さんと一緒に来て、「市民の会で郡の選挙を頼むね。市民を結集して選挙を必ず勝ってくれ」と伝えられた。
そのときに言われたのが、「野党共闘だけでは勝てないよ。基礎票で自公の方が上なんだから、市民が頑張って掘り起こしていかない限りは勝てないよ。郡が人気があるからって勝てるような、選挙ってそれほど甘くないよ」ということだった。

6月7日の段階で、すでに前の市民の会は終了することにしていた。初めの市民の会(編集部注:「私たちの市長を選ぶ仙台市民の会」)は候補者の擁立を決めるまでが役割。選挙をするんだったら、きちんとした政治団体を作らなくてはならないから、別に作りましょうということで7日時点で前の市民の会は終わりにして、新しい市民の会「希望あふれる仙台をつくる市民の会」を作ることにした。
それは3人の共同代表だったんだけれども、僕ら自身は確認団体になって選対も担うんだと思っていた。そしてそれをやるんだったら、責任を取るのは一人でいい、それは新里がやれ、となった。
最終的に民進党や郡さんの後援会とも調整がついて、全ての郡さんの選挙の選対本部は「希望あふれる仙台をつくる市民の会」になり、その責任者は新里宏二でやれということになった。

※(中)編は、9/20(水)公開予定です。

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