62歳でやっと得た成功 カーネル・サンダースの人生

   

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あなたはハーバード・デヴィッド・サンダースという人の名前を聞いたことがありますか?
たぶん、ないでしょう。

それでは、ケンタッキー・フライド・チキンは知っていますか?
もちろん、知っているでしょう。

KFCの前にに必ずいるあのおじさんの像。
彼が、ハーバード・デヴィッド・サンダースことカーネル・サンダースなのです。

厳しい幼少時代

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彼の人生はたった6歳の頃から苦難の多い人生でした。6歳の時に父親が亡くなり、彼の母親が一家を背負って働かなければなりませんでした。自身も10歳の時から働きに出て、節約をしながら学校に通っていたものの、14歳で学校に通うのをあきらめざるをえなくなりました。その後彼はあらゆる場所で自身の活躍の機会を求めるようになります。

貧しさに耐えかねて

 

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貧しさに耐えかねて、母親も家を出ていきました。誰も助けてくれません。サンダースはひとりぼっちになってしまいました。彼はウェイターとして働いたり、ボイラー係として働いたりなど仕事を転々としましたが、何をやっても続きませんでした。それでも彼は18歳の時に結婚し、家庭を築こうとしましたが、妻とよりよい関係を築くことはできませんでした。

「娘が恋しい」

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職を転々とした彼は、手堅くバスの車掌として働こうと考えました。当時まだ19歳だったサンダースでしたが、妻との間にはすでにかわいらしい娘がいたのです。彼はバスの車掌として真面目に働きました。しかし、妻は貧しい生活に耐えかねて小さな娘を連れて出ていきました。
彼は4年間その仕事を続けましたが、その間娘に会いたくてたまらなくなってしまいました。一時は誘拐してしまおうかと考えたぐらい、強い気持ちが彼を襲いました。

たった105ドルの退職金

 

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ひとりぼっちで仕事を続けて、彼はついに還暦を迎えました。しかし彼が政府から受け取った退職金はたった105ドルで、これではとても暮らしていけません。サンダースは何度も何度も死んでしまおうと考えました。彼はせめて、これまでの自分の人生の証として何か残るものを作りたいと考えました。そこで彼は自分の店を始めることにしたのです。

残された圧力鍋とチキンで

 

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数々の失敗を重ねた彼に残されていたのは、圧力鍋とチキンだけになりました。数々の就職面接にも敗れたサンダースは、自分で揚げたチキンを一軒一軒売り歩くようになります。それが今日のケンタッキー・フライド・チキンのはじまりです。かれは一気に2万ドル(200万円)の収入を得られるようになりました。

晩年でも花を咲かせられる

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サンダースは62歳で始めたビジネスが、大きく成功しました。そしてケンタッキー・フライド・チキンはいまや120もの国や地域で愛され、19000の店舗を世界中に持つまでに至りました。1890年に生まれたサンダースは1980年に亡くなり、90歳で天寿を全うしました。彼は大人になった人だけでなく、若い人にとっても、今日に至るまで目標をやりぬくためにベストを尽くす大切さを教えてくれる存在です。

Sourse: https://twitter.com/manishsanghvi/status/718313540046729216?lang=en

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Bhusal Anil (ブサル アニル)
政治プレス新聞社フォトグラファー・映像ディレクター。1989年生まれ。ネパール首都カトマンズ出身。趣味は動画・自主映画制作。好きな映画は黒澤明『七人の侍』。

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