【カンボジア】クメール・ルージュの悲劇を歩く

   

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カンボジア首都・プノンペンで、チューン・エック処刑場とトゥール・スレン虐殺犯罪博物館に行く機会がありました。

これは現地ツアーへの参加だったのですが、この体験は私のカンボジアへの見方だけではなく、私自身をも決定的に変えてしまうものでした。

チューン・エック処刑場

「キリング・フィールド」としても知られるチューン・エックは、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)によって

1975年~1979年の4年間に掛けて運営されていた処刑場・墓地です。

この場所では、女性や子供を含む100万人もの人が残忍な方法で殺されたと言われています。

私は至る所に「450人以上の死者の墓」「ここに100人の母と子が眠る」と書かれている場内を、信じられないような気持ちで、心を痛めながら歩いていました。

見学には、場内で渡されるオーディオ機器を聞きながら回るのがおすすめです。

チューン・エック カンボジア

この施設が、当時の人にとってどんなものであったかを想像しながら場内を回ることができます。

処刑場内を歩いていると、亡くなった方の歯や遺骨が地面から出ているのが見えます。

カンボジアでは、ポルポト政権とクメール・ルージュの政策によって当時の人口の4分の1の方が犠牲になりました。

この場所はその記憶を忘れないための碑であり、8000人もの遺体がそこかしこにみられます。一人一人の遺体が、その人がどうやって殺されたかを語っているのです。

チューン・エック カンボジア

銃は弾丸を節約するために、処刑にはナイフや斧といった使えるものは何でも使っていたそうです。

1日300人もの人々がここで犠牲になりました。

処刑は夜に行われ、巨大な発電機をかけ、処刑される人が叫び声を上げ始めると音楽を掛け始めてその声を消したそうです。なんという悪夢でしょうか。

トゥール・スレンの悲劇

通称「S21」、現在は「トゥール・スレン虐殺犯罪博物館」と呼ばれているこの施設は、政治犯がチューン・エックに移送されるまで滞在する強制収容所です。

1975年、かつて高校生たちが生き生きと勉強していたこの場所は、人々が収容され、尋問を受け、拷問される場所へと変わってしまいました。

トゥール・スレン S21 カンボジア

独房にはそれぞれ拷問され、死亡した犠牲者の写真が、拷問される前後で掲載されています。

個室のなかには依然 天井や床、壁のいたるところに染み付いているところもありました。

当時の人々がいかに救いのない中亡くなっていったのかを見て、あなたは恐怖で足がすくむようになるでしょう。

1万7000人もの人がチューン・エックへ処刑のため移送されました。敵対していたベトナム軍がこの施設に突入したときには、たった7名の生存者しかいなかったそうです。

14名の人が拷問の末亡くなっていました。クメール・ルージュは自分たちの悪行を記録し、収容されたそれぞれの人の写真を撮り、拷問内容について記録を付けていたと言われています。

トゥール・スレン S21 カンボジア

この2つの施設を訪れ、私ははっと目を覚まされる思いがしました。

心の底から恐怖を感じ、こんな場所が本当にあるものなのかと、また人間というものがこれほどまでに憎悪と悪意に支配されてしまうものなのかと思いました。

私は心の底からこの場所を訪れ、自分の足で歩いてみることをお勧めします。

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Curt Bailey (カート・ベイリー)
34歳のフリーランスライター。アメリカ人。アメリカ国内中を走破し、現在はアジア周遊中。アウトドアや総合格闘技、ホラー、超常現象を愛する旅の男。

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