第二次世界大戦の歴史をめぐる対立ーラトビアVSロシアー

      2017/07/12

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ラトビア首都・リガを歩くソ連軍

ラトビア首都・リガを歩くソ連軍。(1944年)

日本をはじめ、世界には第二次世界大戦の解釈をめぐる対立が存在する。

ヨーロッパではバルト3国とロシアの間に深刻な歴史問題がある。

今回はラトビアを例に取り上げ、バルト3国とロシアとの歴史をめぐる対立を見ていきたい。

ソ連→ナチスドイツ→ソ連という歴史をたどったラトビア

ラトビア・ソビエト社会主義共和国国旗

ラトビア・ソビエト社会主義共和国国旗

歴史問題を見ていく前に、ラトビアの現代史を簡単に振り返りたい。

ラトビアの現代史を一言で表現するならば「紆余曲折」だ。ラトビアは第一次世界大戦終結後、ロシア帝国から独立した。

しかし、1930年代後半になるとラトビアに暗雲が立ち込めた。ナチスドイツの台頭とソビエト連邦のスターリンがラトビアに立ちはだかった。

1939年、ナチスドイツとソビエト連邦の間に「独ソ不可侵条約」が成立した。

この条約には秘密条項があり、ラトビアをはじめとするバルト3国はソ連の影響下に置かれることが決められた。

ソ連は1940年に、強引にラトビアと相互援助条約を結んだ。そして、ラトビアに親ソ政権を樹立させたうえで、ラトビアはソビエト連邦を構成する一共和国となった。

この時、多くの罪のないラトビア人が「罪人」としてシベリアに送られた。

ところが、今度はナチスドイツがラトビアに侵攻した。ラトビア人はナチスドイツを「ソ連からの解放者」として大歓迎した。

しかし、ナチスドイツはラトビア人の願いには全く関心がなく、民族運動を弾圧した。

1944年、再びソビエト連邦がラトビアに侵攻。以後、ラトビアは1991年までソビエト連邦に占領されることになった。

ラトビアとロシアとの歴史をめぐる対立

ラトビア人師団追悼日

現在のラトビア政府はナチスドイツやソビエト連邦などの全体主義を否定している。

しかし、ソビエト連邦からの「解放」を目指してナチスと共に戦ったラトビア人を賞賛する動きは今でも見られる。

毎年3月16日は「ラトビア人師団追悼日」となっており、ラトビアの首都リーガで式典が行われる。

この式典ではナチスドイツと共に戦ったラトビア人師団を支持する人々によるパレードが行われる。

ロシア政府はこの式典を「ナチスドイツを肯定するもの」と解釈し、強く批判している。一方の、ラトビア政府はロシアからの批判を受け流している状態だ。

また、2000年には第二次世界大戦期にラトビアで活躍したラトビア生まれのロシア人軍人が、ラトビア国内で逮捕される出来事が起きた。

罪状は第二次世界大戦期に、元軍人がラトビアの民間人を殺害したことだ。

この逮捕に対して、元軍人を英雄視するロシアは猛反発。ヨーロッパを巻き込んだ国際問題に発展した。

結局、元軍人は「有罪」となり2011年に亡くなった。亡くなった際、ロシア政府は弔電を送った。

世界を二分する歴史対立になるのか

今回はラトビアを中心に見たが、事ある度にロシアとバルト3国は歴史をめぐって衝突している。

マクロの目線で見ると、ロシアや中国の「連合国の絶対的な正義史観」と

バルト3国や日本のような「連合国の正義史観に疑問を投げかける歴史観」に分けられるのではないだろうか。

どのように両者の落とし前をつければいいのだろうか。こればバルト3国だけでなく、日本も含んだ全世界的な課題だと言えよう。

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1987年生まれ。神戸市出身。神戸大学大学院国際文化学研究科修了(国際関係・比較政治論コース)。専門はユーゴスラビアといった中東欧の政治・国際関係。
民間企業に勤務後、3ヶ月間の中東欧でのバックパッカー体験を経て、2016年より独立。『Compathy Magazine』『TRIP’S』など複数のメディアで活躍中。

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