クロアチア・ドゥブロヴニクから考える過去と今

      2016/12/18

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アニメ映画「魔女の宅急便」の舞台にもなったとされるアドリア海沿岸の美しい街・ドゥブロヴニク。

アニメ映画「魔女の宅急便」の舞台にもなったとされるアドリア海沿岸の美しい街・ドゥブロヴニク。

私は11月に1週間ほど、世界遺産に登録されているクロアチアのドゥブロヴニクを訪れた。ドゥブロヴニクはアドリア海に面し、貿易拠点として栄えてきた。

記憶の新しいところでは、1990年代に勃発したユーゴスラビア紛争の被害も被っている。今回は、ドゥブロヴニクの辿ってきた道のりから現在に通じるヒントを見つけ出してみたい。

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ドゥブロヴニクの地形

クロアチア内のドゥブロヴニク

クロアチア内のドゥブロヴニクの位置。(政治プレス新聞社作成)

ドゥブロヴニクはバルカン半島、アドリア海に面した美しい町だ。中世の町並みをそのまま保存した旧市街には多くの観光客で賑わい、クロアチアを代表する一大観光地となっている。

ドゥブロヴニクが貿易で栄えた背景には独特の地形が挙げられる。ドゥブロヴニクへ向かうバスの窓からアドリア海を見ると、リアス式海岸に似た複雑な地形をしている。

そのため、イタリアに向かう船が休める場所が多く、天然の良港として機能してきた。

ドゥブロヴニクは地の利を活かして、貿易の拠点として大きく発展した。対岸のイタリア諸都市はもちろん、ボスニア、セルビア、ビザンチンとも交易を行い、東西を結ぶ貿易センターとしての地位を確立した。

そんな貿易都市であるからこそ、積極的に外国の技術、文化も取り入れている。

ドゥブロヴニク オノフリオの大噴水(筆者撮影)

ドゥブロヴニク・オノフリオの大噴水(筆者撮影)

その代表が15世紀に造られた上水道だ。上水道はイタリア人の技術者によって設置され、町の背後にあるスルジ山の北側にある水源から水を引っ張ってきた。

その時に造られたオノフリオの噴水は今でも機能している。近年、オノフリオの大噴水の改修が終わった。今でもドゥブロヴニク市民に親しまれている何よりの証拠であろう。

ドゥブロヴニクは堅牢な城壁で守りを固めながら、積極的な自由貿易と外交によって町に富をもたらした。

また、外国の技術を積極的に取り入れることで、町の問題を解決している。この姿勢は我々も学ぶべき要素が大いにあるのではないだろうか。

紛争の傷はまだ癒えていないか

ドゥブロヴニク・スルジ山にある独立戦争博物館

ドゥブロヴニク・スルジ山にある独立戦争博物館(筆者撮影)

ドゥブロヴニクは1991年、セルビア、モンテネグロを中心とするユーゴスラビア軍の猛攻を受けた。

山、海からの攻撃により、多くの人々が亡くなり、旧市街は壊滅的なダメージを受けた。その後、クロアチア側の踏ん張りにより、ユーゴ軍を撤退に追い込んだ。

紛争終結後は旧市街の復興に取り組み、今日に見られるような美しい町となっている。

しかし、ドゥブロヴニク市民の傷は完全には癒されていない。

年配の方は「セルビア」と聞くと顔をしかめる。若年層でも、ドゥブロヴニクがユーゴ軍の猛攻を受けたことをしっかりと学んでいる。しかし、暗い話ばかりではない。

ドゥブロヴニクでホステルを営んでいるクロアチア人によると、紛争終結後、ドゥブロヴニクを訪れるセルビア人は皆無だったが、

近年、少しずつではあるが若年層を中心にセルビア人が観光目的でドゥブロヴニクを訪れている、という。

まだ、微々たる往来かもしれないが、若年層からクロアチア、セルビアの関係が良好な関係に回復することを期待する。

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1987年生まれ。神戸市出身。神戸大学大学院国際文化学研究科修了(国際関係・比較政治論コース)。専門はユーゴスラビアといった中東欧の政治・国際関係。 民間企業に勤務後、3ヶ月間の中東欧でのバックパッカー体験を経て、2016年より独立。『Compathy Magazine』『TRIP’S』など複数のメディアで活躍中。

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