サンパギータ・パヤタス委員会代表・小宮山嘉子さんにインタビュー

   

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ダマヤン13

サンパギータ・パヤタス委員会代表・小宮山嘉子さんにインタビュー

先日開催されたフィリピン友好団体・ダマヤン主催の「フィリピン歌コンテスト仙台予選」。

10人の参加者が全国大会への参加を目指した。

優勝したのは、星野ジャマイカさん。今回初めて導入された観客による投票でも星野さんが一位となり、審査員・観客ともに認める素晴らしい歌声だった。

ダマヤン12

今回のイベントを主催したダマヤンを創設したのは、ダマヤン代表の小宮山嘉子さん

そこで、今回は小宮山嘉子さんにお話を伺ってきました。

小宮山さんはダマヤン創設のほか、サンパギータ・パヤタス委員会の代表も務め、フィリピンのパヤタス地区のへの教育支援を行っています。

(以下、インタビュー)

(写真中央・小宮山さん)

(写真中央・小宮山さん)

孤立していたフィリピン人たちが集まれる場所を

ダマヤンを作った1991年ころ、宮城県にいるフィリピン人はバラバラに住んでいました。日本に嫁いできたばかりで日本語がほとんど話せず、孤立してしまい、たくさんストレスを抱えてしまっている人もいました。

そこで、この年にできた仙台国際センターに、みんなでフィリピン料理を持ち寄って月1回集まり、おしゃべりするのはどうかと企画しました。

最初に集まったのは12人ほどで、話してみると、皆それぞれ悩みを抱えていることが改めて分かりました。

彼女たちの主な悩みは家族に関するものだったので、私は家庭訪問を行うことにしました。

家庭訪問でご主人とも話し、家族の問題を根本から解決できないかを一緒に考えました。

このようにしてメンバーと家族ぐるみの付き合いになっていきました。

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フィリピンの厳しい状況

私がダマヤンを作った当初は、日本に憧れを抱いて来るフィリピン人が多かったように思います。日本人はお金を持っているし、日本で働くことができればたくさんのお金を家族に送ることができるという考えを持つ人が多くいました。

実際フィリピンでは現在でも大学卒業後に就職できないことが珍しくありません。それで、家族へお金を送るため日本に就職や結婚で来る人が多かったのです。

また、アキノ前大統領は教育改革でK+12(※)を掲げ、教育改革を行いましたが、貧困層の子供たちは依然として学校に行くことが難しい状況にありました。

(※)K+12

 教育改革以前のフィリピンは、アジアで唯一の中等教育が4年間しかない国であった。初等教育(小学校)が6年間、中等教育(現地ではHigh School/高校という)が4年間の6-4制で、その後は大学などの高等教育になる。日本の6-3-3制や、それと類似の制度を持つ国々に比べると、基礎教育(初等・中等教育)が2年間少ない。年齢でいえば、高校卒業時は16歳で、4年制大学に進学したなら大学卒業時には20歳である。実は、この制度がもたらす弊害として、基礎学力の低下や、12年間の基礎教育を条件とする海外の大学に直接進学できないことなどが昨今強く指摘されるようになってきた。

こうした基礎教育の不十分さがもたらす弊害を解消し、さらには「万人のための教育」(Education for All)という国連ミレニアム開発目標達成に近づくため、2012年、ベニグノ・アキノ政権は基礎教育の拡大に動き出した。新たな制度は中等教育を2年間上積みし、さらに5歳児(Kindergarten、日本でいう幼稚園年長組)から公立教育を開始するK+12制である。詳細にはK-6-4-2で、小学校6年間、中学校4年間、さらには高校2年間となる。

(ジェトロ・アジア研究所HPより)

さらに、フィリピンにはハローワークがないので、自分で仕事を探さなければなりません。また、もし働き先が見つかっても税金の関係で6か月以内に解雇されてしまうことがほとんどです。大変厳しい状況が続いています。

 

サンパギータ・パヤタスについて

私がパヤタスの支援をするきっかけとなったのは、私の通っていた教会の牧師が世界中を飛び回っている人で、フィリピンに関する活動をしていたことです。

その活動で私もパヤタスに行ったとき、元裁判官のベネラシオン・ロレンゾさんに出会いました。彼は仕事も忙しい中で、パヤタスの支援に全力を捧げた人で、大変感銘を受けました。

パヤタスはスラム街で、大きなごみの山があり、この地域の子供たちは貧困のために学校へ行くことができずにいました。

そこで、子供たちが通える学校を作る活動をすることになりました。

(パヤタス街の風景)

(パヤタス街の風景)

(パヤタスにあるゴミの山)

(パヤタスにあるゴミの山)

2014年、私たちは学校を作るために地域の家庭訪問を行いました。

ごみの山からごみを拾ってお金に交換する子供も多くいましたが、この換金に携わっていたのは大変危険な人たちで、非行に走ってしまう子供も多くいました。

このような状況を見て、やはりこの地域の子供たちが皆学校に通えるようにしたいと強く思うようになりました。

というのも、どのような貧困な環境にいようと、幼児教育が与える影響は人生に最も不可欠だという思いがあったからです。

(家庭訪問を行う小宮山さん)

(家庭訪問を行う小宮山さん)

(パヤタスの状況)

(パヤタスの状況)

当時私が他に活動していた国連の世界食糧委員会で、世界の貧困を学んでいました。そのことも手伝ってこの地域の人々の食と教育に関する活動をしたいとの思いが強くありました。そこで、賛同してくださった方々とサンパギータ・パヤタス委員会を作りました。

(プリスクールの建設委員会)

(プリスクールの建設委員会)

私たちが日本からの支援金で作った学校「パヤタス パヤニハン プリスクール」は2015年に完成し、フィリピンケソン市・市長の活動認可と教育省の認可を取得しました。

仙台を中心に活動する支援団体として、サンパギータ・パヤタス委員会は規模は小さいのですが、大きな教育支援の一助を担っています。

ダマヤン1

ダマヤン11

今後も困っている方々への支援をしていきたい

私はこれまで様々な活動をしてきて、色んな方に「よくそんなに他の人のために一生懸命になれるね」と言われるのですが、私からすれば目の前に困った人がいれば助けるのが当たり前です。

また、子供のころから両親、特に父親が社会福祉に関わっていた影響も手伝って、困っている方々への支援は当然との認識が植え付けられていたのかもしれません。

(プリスクールの1日)

(プリスクールの1日)

過去から学ぶこともありますが、これから何をするかが一番大切だと思います。

これからも様々な人と協力してフィリピンのための支援活動をしていきたいです。

(サンパギータ・パヤタス委員会)

(サンパギータ・パヤタス委員会)

 

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