【特集】戦争に翻弄された人々-山西省での掃討作戦と日本軍の運命-

   

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(出典:pixabay)

 

昭和20年(1945年)の第二次世界大戦の終戦から、今年で72年が経った。

戦争中、多くの日本国民が海を渡って中国へと向かい、反対に中国国民が日本に連行され、それぞれが悲惨な運命を辿ることとなる。

満蒙開拓団として中国で終戦を迎え、置き去りになった残留孤児、そして日本に連行され強制労働を強いられた中国の人々だ。

しかし、戦後長い間、この2つの問題に社会の目が向けられることはなかった。

 

(取材に応じて頂いた、高橋幸喜さん)

(取材に応じて頂いた、高橋幸喜さん)

 

高橋幸喜(たかはし こうき)さんは、1935年(昭和10年)山形市に生まれた。

幼いころに戦争を経験し、今年11月で82歳を迎える。

高橋さんは、数十年にわたり、山形県における満蒙開拓団の歴史と帰国した孤児の現状、

山形県酒田市・酒田港における強制連行事件の実態などについて地道な調査を行い、

被害者救済のために尽力してきた。

また東北地方の歩兵連隊を中心とする、陸軍第36師団の当時の動きについても詳しい。

 

元軍人、日本に帰国した孤児、連行された中国人被害者などの当事者が高齢化し、

戦争に対する社会全体の記憶が薄れている今、高橋さんへの取材を通して、

改めて戦争がもたらした諸問題に焦点を当ててみたい。

 

中国東北部での日本軍による「燼滅掃討作戦」(じんめつそうとうさくせん)

(山西省の冬山 出典:pixabay)

 

戦時中、中国の山西省では、東北地方の連隊を中心とする師団が作戦にあたりました。

1939年、陸軍第36師団(青森、秋田、岩手、山形の連隊を中心に構成)が、

「治安戦」(※)のため、山西省に送り出されます。

(※)1937 年8月から終戦までの間、日本軍・北支那方面軍が華北で展開した作戦と占領支配政策。主に、中国共産党の八路軍によって設けられた抗日ゲリラ地区、解放された抗日根拠地の徹底破壊を目的とする作戦。

 

陸軍第36師団が行ったのは、中国側の言う、いわゆる「三光作戦」です。

日本軍では、「燼滅掃討作戦」(じんめつそうとうさくせん)と言われました。

人を殺して、家を焼き、物を奪う。

住民が1人も住めなくなるように、徹底して燼滅するという作戦です。

食器の一枚まで、すべて壊したという地区もあります。

第36師団は、山西省に置かれた陸軍第一軍司令部のもとで、このような作戦を遂行していきます。

もともと、中国共産党の八路軍を対象とした作戦でしたが、現場では共産党員なのか一般の住民なのか、区別がつかない。

だから、そこにいる住民すべてが、作戦の対象となったわけです。

 

既に亡くなった方ですが、秋田の部隊(歩兵第223連隊)に入って、山西省における作戦に加わったという方がいました。

その方は斥候として、ある集落に入ったそうです。

住民を殺したくないという思いから、村人に「穴ぐらに隠れておけ」と指示し、牛や馬は縄を解いて空鉄砲を撃って逃がした。

上官には「全員殺した」と報告し、あとは家を焼いたと。

青ざめた顔で、「あの作戦で、上官から『井戸に青酸カリを入れて来い』と言われた」という話もされていました。

 

山西省には、五台山という、仏教の聖地と言われる山があります。

その麓の方に「無人区」という地域がある。

住民を追い出し、強制的に別なところに住まわせ、

小さい山の上に望楼(ぼうろう、遠くを見渡すためのやぐら)を作って地区を監視し、その地区に入る者を殺したとのことです。

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「戦闘詳報」によって、日本軍の作戦の詳細が明らかとなった


(陸軍歩兵第224連隊の「冬季山西粛正作戦戦闘詳報」、山西省における日本軍の作戦が事細かに記録されている)

 

山形県の歩兵第224連隊による「冬季山西粛正作戦戦闘詳報」(1942年(昭和17年)2月~3月)が

防衛省の図書館で公開されました。

日本軍による毒ガス作戦が実際に行われたことも、この資料で確認できます。

具体的な集落の名前を列挙し、その集落に対して「撒毒せしむべし」との指示。

合わせて、「撒毒セル地点、毒量をその都度速かに報告すべし」と報告が求められていて、

実際に、どこに何グラム撒毒した、という報告もあります。

 

(ビアク島の密林を前進するアメリカ軍 出典:wikipedia)

 

この作戦にあたった東北の連隊のうち、岩手県の歩兵第222連隊は、その後第36師団から切り離され、

連隊のほぼ全て、約3500人がニューギニア戦線・ビアク島の戦いに投入され、そこでいわば玉砕するわけです。

終戦後、島で救出された生存者は約80人。

ほぼ全滅でした。

 

山形県の歩兵第224連隊は約3300人で、そのうち2722人が亡くなった。

500人くらいが生きて帰ったことになります。

 

このように、あの戦争で東北地方の軍隊にも非常に多くの犠牲者が出たということを、

後世に伝えていかなければならないと思っています。

 

日本と中国の関係について言えば、日中共同声明をはじめ、これまで両国の間で取り交わした確認文書がいくつかあります。

それらの文書には、中国への侵略戦争に対する反省、覇権主義を認めず紛争を平和的に解決していく、

ということがきちっと謳われている。

私は、お互いがその約束を守って、しっかり実行することを求めたい。

 

まず、日本自体の問題として、侵略戦争に対する反省がないということが、今の状況の土台となっている。

勝っても負けても、お互いに悲惨な経験をした、これは事実なわけですから、

「日中で二度と、戦争を起こしてはならない」

ということを確認して、平和な関係を作っていくことが必要です。

そのためにも、相互理解を深めて、国民同士の友好関係を築くことが大事なんじゃないかと思います。

(完)

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