【連載】ロシアの実像を探る (3)江戸幕府との交渉[茅野 渉]

      2018/04/30

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江戸幕府に通商を求めたロシア

幕府との交渉にあたったロシア帝国の外交官 ニコライ・レザノフ 出典:https://ja.wikipedia.org/

 

前回に続き、19世紀の日ロ交渉史に触れます。

 

幕府は通商を求めるロシアの要求を断り続けますが、ロシアは諦めずに1804年にレザロフという外交官兼実業家を交渉に送ってきました。しかし、ここでも日本に通商関係樹立を断わられ、これに腹を立てた彼の部下が帰りしなに南千島や樺太を襲い、日本人やアイヌ人に犠牲者が出ました(文化魯寇、1806~1807年)。歴史上最初のロシアの対日武力攻撃ともいえ、いささか大袈裟に聞こえるものの、日本の恐露・嫌露はそもそもこの時に始まったと主張する方もおられます。

 

この事件辺りから、1855年の日露和親条約締結までに起こったことは、人間のドラマが彩なす世界でもあります。

 

まず、ロシアの暴行に不安をおぼえた幕府は、間宮林蔵に樺太探検(1808~1809年)を命じました。この時彼は、間宮海峡を発見(樺太=サハリンが島であることを確認)するだけではなく、樺太から大陸にまで渡り、アムール川沿いにある当時の清政府の出先機関も訪れています。帰国後、彼は『東韃紀行』(1809年)を執筆しました。しかし、その約40年後には、彼の訪れた清の領土はロシア領になってしまいます。

 

続いて1811年には、千島にやって来たロシアの海軍士官・ゴロヴニンが幕府に捕えられて幽閉されるという事件が起こりました。レザロフの部下の暴行に対する日本側の報復です。この不幸に逢ったゴロヴニンという人は中々の人物で、ロシアへ戻った後に『日本幽囚記』(1816年)という本を書いています。これは内容が優れているだけではなく、当時の日本を描いた文物としても大変貴重なものです。

 

自国の軍人が捉えられたことへの交換人質確保のために、ロシアは当時蝦夷地開拓に乗り出していた商人の高田屋嘉兵衛を千島で捕えました。この嘉兵衛のことは、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』に詳しく書かれています。1812~1813年の捕虜暮らしの中で、彼はゴロヴニンの釈放と両国間の衝突回避に動き回り、それが功を奏して事件は無事に一件落着となりました。

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