【連載】「一帯一路」の輪郭(1)歴史的背景と発想(福島大・朱准教授)

      2018/07/18

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「一帯一路」とは何か。

陸と海における現代版シルクロードとも呼ばれるこの経済圏構想は、2014年11月、中国・習近平国家主席によって提唱され、今やユーラシア大陸にとどまらず世界各地に広がりを見せている。

世界のメディアや研究者らが注目し、様々な言説が飛び交う中、我々は「一帯一路」をどう捉え、そして向き合っていくべきなのか。本連載では各専門家への取材等を通じて、巨大プロジェクト「一帯一路」の様々な側面を切り取ることで、その輪郭・全体像を浮き彫りにしていく。

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 陸と海の経済圏を同時に築くという「歴史的な実験」

(出典:https://pixabay.com)

 

「一帯一路」を歴史的な観点から紐解こうとした場合、陸(一帯)と海(一路)とを分ける必要があるだろう。

「一帯」は、唐(618年 - 907年)の時代に隆盛を誇った陸の国際交易網「シルクロード」から着想を得たものだ。

当時の世界経済の中心は中国あるいはインドであったことから、世界の人々が中国に向かい、また中国から色々なものが出ていった。

シルクロードの中心地であった長安(現・陝西省西安市)は多様な宗教・民族を包含し、今でいうグローバリゼーションの最先端を行く大都市だった。

このことからも、中国が陸のシルクロードの主役として位置づけられ、また実際のプレーヤーとして重要性を持っていたことが分かる。

 

他方、「一路」にあたる海のシルクロードがどの時代に、またどのように繁栄したのかという点は検討を要する。

歴史上、果たして中国が海の主役であった時代はあったのか。

鄭和(※)は例外として、陸のシルクロードが隆盛を見た唐・明の時代、中国の造船技術では世界の海を股にかけて交易を行うことは不可能だった。

当時の海上交易は、主にアラビア人、ジャワ人、そして海賊と呼ばれた人々が担っていた。

その後、15世紀から17世紀にかけての大航海時代は、スペインやポルトガルなどヨーロッパの国々が主役となる。

歴史的に見て海上交易における担い手は極めて多様であり、決して中国中心に海の世界が動いたわけではない。

 

つまり、中国の歴史上、陸と海における交易が同時に繁栄した経験はないということだ。

この事実を踏まえれば、今日の「一帯一路」は陸と海の経済圏を同時に作っていくという「歴史的な大実験」とさえ言えるものだ。

※ 鄭和:中国明代の宦官。1405~1430年の間、南海遠征の総指揮官として船団を率い、東南アジア、インドからアラビア半島、アフリカにまで到達した。

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