仙台の歴史を綴る「仙台市歴史民俗資料館」~戦時下の「日常」も展示~

      2016/09/01

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木造二階建て、重厚感が漂う外観。建物の角には「コーナーストーン」と呼ばれる装飾が施されている。

重厚感のある建物。角隅には「コーナーストーン」と呼ばれる装飾が施されている。

 

JR仙台駅東口にある「榴岡公園」。

花見の名所であり、また平日でもスポーツを楽しむ人でにぎわう、仙台市民の憩いの場だ。

その一角にひっそりと佇む、洋館風の建物があるのをご存知だろうか。

仙台市近郊を中心に、明治時代以降の庶民生活に関する資料の展示などを行う「仙台市歴史民俗資料館」だ。

建物は明治7年、今から142年前に建築されたもので、宮城県内では、最古の木造洋風建築として知られる。

戦時下も含めた明治以降の庶民の暮らしが分かる展示物、また寄贈された資料などの調査研究も行っており、当時の日常を知ることができる貴重な場となっている。

資料館の歴史や特色などについて、学芸員の畑井洋樹さんにお話を伺った。

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県内最古の木造洋風建築 国内でも貴重な明治初期の旧陸軍兵舎

「当館は昭和54年の開館ですが、建物自体は、明治7年、旧日本陸軍第二師団歩兵第四連隊の兵舎として建築されたものです。

第二次世界大戦の終結まで約70年間にわたって陸軍が使用し、戦後は進駐軍が、また昭和31年から昭和50年まで、東北管区警察学校(現在は多賀城市)として使用されていました。

明治政府が近代式軍隊の設立に着手した際、西洋における軍隊の様式を参考にしました。

この建物も、西洋における軍隊の兵舎を参考にして設計され、日本の大工が造り上げたものです」

昭和50年に撮影された現「榴岡公園」の航空写真。旧練兵場を囲むように、多くの建物が建っていたのが分かる。

昭和50年に撮影された現「榴岡公園」の航空写真。旧練兵場を囲むように、多くの建物が建っていたのが分かる。

 

「あまり知られていませんが、上の写真を見れば分かるとおり、この建物はもともと、公園の南側に建っていました。

資料館として残すという段階で、保存状態などを見て「第11中隊」が使用していた建物が選ばれ、「曳家(ひきや)」の技術を用いて現在の場所に移されました。

名古屋市にある「明治村」にも、同じ年代の旧陸軍兵舎が保存されていますが、建物の横幅を詰めた形で移築されたものであり、「当時のそのまま」を保存しているのは、日本でも当資料館のみとなっています。

マニアックな話ですが、建物の角に施されている「コーナーストーン」は、「明治村」にある建物には見られないものです。

また、若い世代の方は知らないでしょうが、公園として整備されるまでは、旧陸軍、進駐軍、警察学校として使われていたため、周囲には有刺鉄線が張り巡らされていました。

今では想像できませんが、この場所は、明治7年から昭和50年までの長い間、一般人が入れるような場所ではなかったのです」

 

大戦での消失をまぬがれたのは、米軍の爆撃戦略が変わったため

「地方都市であっても、軍の司令部を爆撃し、中枢機能を破壊するのが効果的と考えるのが普通です。しかし、この建物は残りました。

仙台の空襲があったのは昭和20年7月ですが、その数カ月前に、「早期の戦争終結を目指すには、相手国の戦意を挫くことが必要。そのためには軍事施設ではなく、都市部の絨毯爆撃を行う」という風に、米軍の爆撃方針が変わったためです。

仙台だけではなく、東京大空襲(昭和20年3月10日)も同じで、いずれも、街の中心部が狙われました。

この建物は、仙台市の市街地から比較的離れた場所にあったので延焼を免れた、ということになります」

 

特徴的な階段の手摺り。内装も洋風だが、所々に「和」の要素が散りばめられている。

特徴的な階段の手摺り。内装も洋風だが、良く見ると、所々に「和」の要素も散りばめられている。

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