「今なお良心の呵責にたえない」戦地・中国に赴いた三笠宮さまのおことば・エピソード

   

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三笠宮崇仁さま

(出典:ameblo.jp)

昭和天皇の末弟、三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)さまが27日、亡くなられた。

戦時中は軍人として中国に赴き、戦後はオリエント史の研究者として知られた。中国に関するおことば・エピソードも多い。

戦争の悲惨さや、中国大陸での日本軍の残虐行為について、三笠宮さまは戦後、率直に反省を語ったことで知られる。

時にからかいをこめて「赤い宮様」と呼ばれることもあった、自由で率直な三笠宮さまの生涯を偲ぶ。

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軍人として中国に赴く

ノモンハン事件 三笠宮崇仁さま

日ソがぶつかったノモンハン事件は三笠宮様と深いかかわりがある

太平洋戦争開戦後、陸軍大尉時代の1943年1月~翌1944年1月の1年間、三笠宮さまは

南京の支那派遣軍総司令部に勤務していた。名前を「若杉」として、身分を秘匿して仕事を行った。

日本がソ連との戦いで壊滅的な被害を受けたノモンハン事件にも参戦。泥沼化する戦争と、それに伴い風紀が乱れる一部の日本軍兵士に失望した。

「歴史読本 特集皇族と宮家」によると、三笠宮さまは「支那事変に対する日本人としての内省」という講話を発表し、

「軍は中国との戦争が長引き戦闘が泥沼状態になっており、軍紀が乱れている者が一部いる事を深く反省すべきである」と総司令官に伝え、対中政策のブレーキ役となった。

帰国後は戦争終結を模索し、陸軍将校らと東条内閣のクーデターを企てたこともあった。玉音放送が発表される直前、徹底抗戦を訴える阿南陸軍大臣には叱責し、日本の戦争終結を支えた。

「赤い宮様」とよばれて 戦後平和を願い、率直な発言も厭わず

戦後は昭和天皇の末弟として自由な人生を過ごし、東大に研究生として入学し、戦中赴いた中国で興味を持ったオリエント史の研究を始めた。

戦争の悲惨さや、中国大陸での日本軍の残虐行為について、三笠宮さまは戦後、率直に反省を語ったことで知られる。時にからかいをこめて「赤い宮様」と呼ばれることもあった。

罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。

かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった。

(『帝王と墓と民衆』の「わが思い出の記」)

日中で議論が分かれる南京虐殺についても、「人数は関係ありません」として、虐殺そのものに懐疑的な姿勢を示した。

最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。

辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません

(「THIS IS 読売」94年8月号)

指導する側だった自身についても、「今もなお良心の呵責(かしゃく)にたえない」(「古代オリエント史と私」)と記した。

戦争の悲惨さや、中国大陸での日本軍の残虐行為について常に率直であられた三笠宮さま。今、太平洋戦争に関わった多くの日本人が鬼籍に入りつつある。

日中両国で、平和の意味を伝えていける役割がこれからも必要とされている。

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