【福岡6区補選-情勢分析・番外編】由紀夫・邦夫、ふたりの兄弟の政治家人生

   

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鳩山邦夫元総務相の死去に伴い実施される福岡6区補選は、白熱の展開で折り返し地点を迎え、23日の開票を待つばかりになった。

主要メディアの世論調査によれば邦夫氏の次男の二郎氏が優勢とされているが、約3割の有権者層が態度を明確にしておらず、今後情勢が変わる可能性がある。

自由民主党の初代総裁となった鳩山一郎を代表として、4代の長きにわたって歴代大臣を輩出してきた日本の名門・鳩山家。

音羽の「華麗なる一族」はどのような歩みで発展を遂げてきたのだろうか。

鳩山家の歴史は、福岡6区の情勢を読み解くヒントが散りばめられていると同時に、新党さきがけや民主党の誕生など、日本の政党史でもある。

今回はシリーズ「福岡6区補選2016・情勢分析」の番外編として、「邦夫氏・二郎氏を生んだ鳩山家の歴史」を、

祖父と同じ総理大臣にまで登りつめた由紀夫・総務相を務めた邦夫の半生と生涯から見ていく。

前編はこちら

【福岡6区補選-情勢分析・番外編】邦夫氏・二郎氏を生んだ鳩山家の歴史

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福岡6区補選-情勢分析・番外編~由紀夫と邦夫の時代

「放任主義」の鳩山家

由紀夫(友紀夫)・邦夫・和子と2男1女に恵まれた鳩山威一郎・安子夫妻

由紀夫(友紀夫)・邦夫・和子と2男1女に恵まれた鳩山威一郎・安子夫妻

1942年の帝国ホテルでの挙式後は、威一郎は戦地に赴き、安子は東京を離れて暮らした。安子は玉音放送を疎開先の軽井沢で聞いた。

戦争が終わると、南洋のトラック諸島に出征していた威一郎が無事に戻り、勤務先の大蔵省に復職。夫婦は平和で幸せな暮らしを送ることになった。

二人は二男一女の子宝に恵まれ、子どもたちはそれぞれ由紀夫(友紀夫)・邦夫・和子と名付けられた。

威一郎と安子は当時には珍しく放任主義で、子どもたちに「勉強しなさい」と怒鳴りたてたことはほとんどなかったという。

長男の由紀夫は「これからはエンジニアリングの時代だ」と東京大学工学部に進学し、学者の道を進んだ。

次男の邦夫は早くから「オーパパ(祖父の一郎)の跡を継ぐのは自分だ」と言って、政治家を志し、東京大学法学部に進学。

長女の和子は聖心女子大学に進み、筑波大学名誉教授となる井上多門と結婚した。

「新党さきがけ」「(旧)民主党」のゴッドマザー

鳩山由紀夫 邦夫 安子

【政界のゴッドマザー】由紀夫の作った「新党さきがけ」や旧民主党に多額の資金を出資したのは安子だった

安子は夫の威一郎と同じく、政治家の道を選んだ息子たちに出資を惜しまなかった。

兄の由紀夫は自民党から出馬していたが、中選挙区制への移行を渋る当時の宮澤喜一内閣に反発し、1993年に党を離党。仲間ら数名と、リベラルな政治改革を進める「新党さきがけ」を結成した。

弟の邦夫も同年に自民党を離党、のちの新進党立ち上げに合流することになる。96年には由紀夫・邦夫の兄弟で旧民主党を結党。このような新党結成の潮流は、戦後初めての非自民政権の誕生をもたらした。

安子は由紀夫や邦夫らの「新党さきがけ」や旧民主党の立ち上げに際して、多額の出資を行った。その金額はなんと数十億円にものぼるとされている。

安子は父の石橋正二郎から受け継いだ時価300億円以上のブリヂストン株や、鳩山家からは音羽にある鳩山会館の土地などを受け、少なくとも400億円以上の資産を有していたとされている。

自身は質素な生活を送っていた安子だったが、息子たちには出資を惜しまなかった。この鳩山家と石橋家の資金の力が、由紀夫や邦夫が若くして政界に台頭する動力源にもなった。

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